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No.22 イスラエル建国

平成12年10月31日
佐田靖治


中東でイスラエルが再建されたのは1948年5月14日のことである。彼らが国を失って離散してから約二千年ほど後のこととなる。このイスラエル建国はユダヤ民族を中心に語られることが多いが、イスラエルとはヘブライ民族十二支族の内北の十支族、エフライムと呼ばれる部族の国家名であって、ユダヤ二支族は古代にはユダヤ王国と名乗っていた。

北のイスラエルは消えた十支族と呼ばれて、中東から離れて行方知れずになったとされている。残ったユダヤも離散民(ディアスポラ)と呼ばれて世界中に散って、父祖の地には少し残っただけだった。彼らがなぜ国を追われたかについては、今までに何度も分析してきた。人類に託された神の仕組みのためであると結論は出ているが、その神の仕組みに関しては、世界の縮図である日本にセットされていることも解説してきた。

離散していたヘブライ民族が中東の父祖の地に帰って国を再建したとき、彼らはその国名をイスラエルとした。なぜであろうか? イスラエルを再建したのは二支族のユダヤ系が中心になっている。古代イスラエルはエフライム系であってユダヤ系ではない。にもかかわらず、イスラエルを国名としたことの真意を私は知らないが、民族和合の大目標のためだろうと推測することはできる。古代に十二支族が分裂しているからである。

イスラエルのユダヤ民族がどう考えているか知らないが、極東の日本から眺め続けていると、イスラエル建国とともに十二支族は帰還し続けているように思われ始めた。神の仕組みのために分裂したヘブライ民族の一部が日本列島で大和として融合していたように、世界に散った十二支族全体が二千年後に父祖の地に帰り続けているように見えてきたのである。消えた十支族と言われるように、エフライムは見えない形で帰還しているのではあるまいか。

見えないのは民族分裂の原因となった宗教、つまり古代の神々を守る十支族に対して一神教を立てた二支族、ユダヤが再建した国におおっぴらに神々を抱いて帰るわけにはいかないからである。


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