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No.28 道具が便利を越えるとき

平成13年5月1日
佐田靖治


道具というものの発達が機械を生み出し、機械の進化が人間を管理する組織として確立され続けている。そんな時代に生きていると、コンピューター化した機械が生命を持ちはじめるのはそう遠い先ではないと思えてくる。このことは科学の勝利と人類は言うかもしれないが、はたしてそうだろうか?

地球の人間社会だけでこの問題を扱えば、未知の新分野に人類の知恵が広がって、さらに高度な文明が花開くように思えるかもしれない。しかし、遠い昔宇宙で達成されてしまったコンピューター文明の結果を知らされてしまった者にとっては、その流れは必然的なものであるとしても、必ずしも喜ばしい成果が出るとは思えない。

人類はやがて人造人間を作り出すことだろう。機械もまた生命を抱くことになるだろう。そして、表面上は立派な表現体が作り出されていくことになる。しかし、それはあくまでも表面のみで、真の生命は機械の陰で妖怪に変化してしまうことになる。このことに気づかないまま機械文明は進化し続けるのである。

物質世界にいて人間以上の高度な生命を知らない者は、それでいいと思うかもしれない。しかし、宇宙世界は物質世界のみではなく、もっと違った世界にもっと別の生命体が存在していることを認識している者は、人類の科学思想だけでいいとはとても思わないだろう。また道具のように便利というだけ、あるいは有能というだけではついていけない何かがあるとも感じているはずである。

道具はあくまでも道具であって、道具が生命体を越えるとき、何かが終るのである。真の生命進化は滞り、異次元の表現体もロボット化してしまう。宇宙では遠い昔そうなってしまった。そして、そういう科学文明を作り上げた科学者や賢者たちは、打開策を見い出すことができずに今ももがき苦しんでいる。

そういう状況の中で我々は何をなすべきだろうか? こう問いかけてみたところでコンピューター文明は進化し続けてしまう。しかし、それと共にこの流れを解消するための宇宙の仕組み、それを担う人間たちがいるということも言っておかなければ、公平な文とは言えまい。


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