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No.30 天皇家の贖罪

平成13年6月27日
佐田靖治


中国の秦の始皇帝がエフライム(消えた十支族)系のヘブライ人であるということは、イスラエル研究者の間では常識ではないかと思われる。それのみではなく、秦も含めた中国系ヘブライ人が日本に流れ込んで大和朝廷を築き上げたと言ったら、現代の中国人は何と言うだろうか?

日本では、文化程度の高い中国や朝鮮系の渡来民によって日本が築かれたことは歴史教科書でも教えているが、その中核部分になっている天皇家がヘブライ民族のエフライムとユダヤだということは決して教えない。もちろん日本には先住民がいたし、渡来したのは中国人や朝鮮人であったわけだから、ヘブライ性など語る必要もないことであるかもしれないが。

儒教はジュー、ユダヤ教だと言われているし、開祖の孔子はユダヤ人であると当の本人が異次元から告げてもいる。秦の始皇帝が日本に送り出した徐福はヘブライ人ではないが、共に渡来した500名のグループはエフライム系のヘブライ人だったらしい。このことは先祖以外誰も知らないが、ここにも神の仕組みの謎がある。徐福はなぜ中国に帰らなかったのか?

中国からはエフライムとして日本に直接渡ってきたグループと、秦が倒れたあとエフライムとユダヤが合体して東南アジアに下り、大和となって海を北上して日本に入ったグループの二つの流れがある。朝鮮半島にはまた別のユダヤの流れがあるのだが、それらが日本列島で合流して激しいせめぎ合いをし続けた歴史が、日本には天皇家がらみで存在している。

1868年の明治維新で古代の天皇家が復活し、日清・日露・大東亜戦争へと、世界に広がろうとした背景は何だったのだろうか? 朝鮮・中国に対する負の恩返し、そして神の仕組みを完成してイスラエルに帰りたい大和エフライム・ユダヤの願望の現れだったのではあるまいか? しかし、これは五回目の仕組みをつぶしたヘブライ民族の亡霊であったために、日本人には贖罪のみが残ってしまった。


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