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No.32 戦いで死んだ人々

平成13年8月28日
佐田靖治


日本の首相が、戦没者を英霊として祀る靖国神社に、敗戦記念日の8月15日に参拝することで、今年ほど内外で騒がれたのも珍しい。おかげで参拝者は例年の倍以上に膨れ上がったとのこと。小泉首相の功績であろうか。自らは2日前の参拝で妥協してしまったけれども、日本人の思いを政治家としてすくい上げることにはなった。

諸外国の反対論は、大東亜戦争のA級戦犯の処刑者が祀られているからだという。それでは処刑されなかった天皇、その他の犯罪人に対してはどうなのだろうか? 天皇は今も日本の象徴として立っている。日本人としては、諸外国のここらあたりの感覚がもう一つ理解できないでいる。

戦没者が靖国神社に合祀されている問題で、今年に関しては面白い新聞記事が目についた。新たに合祀された台湾人の家族が感激していたのに対し、朝鮮半島の韓国の議員グループは、合祀してある同国人を出してほしいと言って来日していた。この違いは何なのだろう。もちろん両国民の思いをこれだけで判断するのは危険だが……。

宇宙の仕組み、神の仕組みがセットしてある、世界の縮図としての日本を中心にした領域、この中には台湾は含まれるが、朝鮮半島は入っていない(サハリンは入っているのに)。ここらあたりに反応の違いの一端があるかもしれない。しかし、明治以降天皇家を中心とする大日本帝国は、その仕組みをつぶそうとして動いた。仕組みを担った一般大衆を無視してである。

近隣の諸国、人々を巻き込んだ大東亜戦争の償いをまだ日本はしていないし、巻き込まれて死んだ日本人も靖国の英霊も、まだ十分には慰められてはいない。神国の仕組みのために戦いに出て、仕組みをつぶして死んだからである。

靖国神社のみならず日本全国の護国神社にも、まだ慰められていない戦没者がたくさんいる。そして諸外国の戦地にも、戦没者の思いはまだまだ残っている。しかし、これは日本人だけのことではない。いつの時代、どんな戦いであれ、戦いで死んだ者の思いは根強く残っている。仕組みがらみであればなおさら……。


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