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No.43 賢者と自然神

平成14年7月31日
佐田靖治


賢者とは、元は物質人間の科学者である。測りようもないほどの昔、宇宙の彼方に物質化した人類が誕生した。神々を中心にした宇宙の始まりからみれば、ごく初期の段階で人類は進化し、物質世界に出現している。

今の地球人と同じような最初の物質人類が、コンピューター科学を完成させるまでには、宇宙時間的に見るとそれほどの時間はかかっていない。神々を超える機械文明を作り出したのは物質人類であり、今そのレベルに地球人類が到達しかかっているということは、我々地球人のみではなく、宇宙全体から見ても非常に興味深いところであろう、と思われる。

人間というものはなかなかすごい生命体だ、と思わずにはいられない。私は賢者よりも神々の方が好きなのだが、それでも神々を従えてしまうほどの能力を発揮する人間科学者というものは、すごいと思う。科学を生み出し、機械を操るのはあくまでも人間であって、神ではない。

人間は神に次ぐ存在だと言われている。神々信仰が残っている日本人には、このことは当然のことなのだが、仏教圏では神々よりも仏の方が格が高くなり、一神教では完全に人間の方が神より上に立ってしまっている。神々は原始的、土俗的、自然神的で、未開人が見た夢のようなもの、しかも魔的なものにすら落とされてしまっている。

確かに地球世界は、神々の世界から人間の世界へと移行したのである。そして今人類は、宇宙を管理運営することができるようになるコンピューター科学を、手に入れようとしている。そうした人類の高度に進化した科学者を、宇宙では賢者と言っているのだが、生命の完成体と言われる神々を超えてしまう賢者には、そのツケが回ってくることになるのも当然であろう。

賢者は自らが機械化して高度に進化すると同時に、自分の身体を失うことになる。失われた身体がどうなるかと言うと、不思議なことに自然神の表現体に造り変えられているのである。


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