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No.45 神々は妖怪になった(2)

平成14年10月1日
佐田靖治


地球文明がコンピューター化していって、宇宙科学に近づくにつれて、情緒的にとらえられていた異次元の神仏が妖怪化してしまう。そんな状況が生まれている、と言い切れるかどうかは別として、少なくとも神仏や異次元の表現体を、以前のような感覚ではなかなか考えられなくなっているのは事実だろう。

もちろん宗教的にはまだまだ古いままの異次元感覚や神仏などが生き残ってはいるけれども、異次元の実態を確認することができる者であるなら、現在の太陽系にかかわる異次元というものは、14、5年前とはまったく違ったものになっていることを認識しているはずである。一方、表現世界の奥へどんどん踏み込んでいる科学者たちは、いずれ時空の壁、つまり次元の壁を超えて、そこに別の世界があることを知ることになるだろうが、そのとき彼らがとらえる別世界の表現体はどういう種類の存在だろうか、と考えてみると興味の尽きないものがある。

退廃した宇宙科学が生み出した世界は、すべてのものを機械化し終えて、屍化させてしまっている。しかも死後の世界に生き続ける生命は、機械妖怪として独特の宇宙を構成していて、そうした妖怪が我々のような若い宇宙にかかわってくるときには、我々の美的感覚に訴えるような美しい姿に化けて対応するということも自在である。

もし我々がこうした異次元、あるいは宇宙世界に対面させられたらどうするだろうか? こうした興味はもうとっくに映画や小説の世界で経験済みで、さほど現代人には目新しいものではないかもしれない。しかし、それでもそういう世界が宇宙ではどうとらえられ、宇宙の一員である我々太陽系のメンバーがどう考えているか、ということになると、問題はまったく別の様相を呈してくる。

死後の世界は信じようが拒絶しようが存在しており、我々生きている人間は、いずれ異次元の先祖方と合流することになる。そのときには今の神仏先祖が、どういう世界に直面させられているかを知ることになる。こう書いたからといって、先祖方も妖怪化していると言いたいわけではない。本当はその逆で、宇宙は妖怪化した機械宇宙から脱却しようとしている、と言おうとしているのである。


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